ドキュメンタリー映画、マジでガチなボランティア

トップ 学生医療支援NGO~GRAPHIS~第6代副代表 佐藤陸インタビュー

被災して、改めて感じたボランティアの意義

東北関東大震災以降、だれもが自分にできることを探し、実行しています。
かつてない程、ボランティアへの機運が高まる中、震災以前からボランティアに取り組んでいた学生は何を思い、どう行動しているのでしょうか?
現在、学生医療支援NGO~GRAPHIS~の副代表を務める佐藤陸くんは、千葉県浦安市の自宅で被災し避難生活を送る中で、自分のこれまでの活動の意義を改めて感じたといいます。
震災から1ヶ月。
被災地での支援活動、復興はなかなか思うように進展していませんが、被災していない人にとっては、2011年3月11日に起きた大地震は過去のことになろうとしてるのかもしれません。
そこで、東北で被害に遭われた方々に改めてお悔やみを申し上げると共に、東京で大学生活を送る普通の大学生が経験し、考えたことをお伝えしようと思います。

佐藤陸 学生医療支援NGO~GRAPHIS~
6期生 副代表  佐藤 陸

「これはマジでヤバい」

地震の揺れで崩れたキッチン
地震の揺れで崩れたキッチン

佐藤 家でのんびりしようとテレビを見ていたんです。すると、突然、地震がおきました。最初は「あ、地震だ。」というくらいで特に警戒はしていませんでした。しかし、要介護者である祖父母の様子を見に行こうと立ち上がったら、揺れはおさまらずどんどんと大きくなり、すぐに立っている事も困難になりました。
 地震の揺れに怯える祖父母に、父と「大丈夫だよ」と声をかけ、二人を守る事で精一杯だったので自分達がどれほどの被害にあっているかまでは頭が回りませんでした。
 一旦揺れがおさまった後、家の外の様子を見ようと玄関をあけたら、マンションの非常ベルが鳴りだしたんです。その音を聞いて初めて「これはマジでヤバいかも」と思い出しました。そして間もなく、地面が液状化して泥と水が溢れ出してくる様子が見えました。
僕たちが住んでいるのはマンションの12階。このまま部屋にいるのは危険だと判断しました。けれど、お話しした通り僕の祖父は歩く事ができません。決めかねている時に、母も合流し、全員の判断でとにかくマンションの近くにある大きな公園まで避難しようということになりました。
 避難はとても大変でした。エレベーターはもちろん止まっていましたし、下までおりる手段はマンションの階段しかありません。僕が祖父をおんぶして地上まで階段をおりました。

浦安とは別天地の東京

地面に亀裂の入った舞浜駅
地面に亀裂の入った舞浜駅

佐藤 その後、家族全員が合流することができましたが、公園には長くいませんでした、というのも、雨が降り出してしまったんです。自宅のマンションに引き返す事も出来ず、浦安市内に一番上の姉がいたので、僕と両親、次女、それから祖父母と合わせて6人で、被害の少なかった長女の家に避難させてもらいました。
 僕らの家族が6人、長女の家族が子どもを含めて3人、それから僕らのように避難してきた従兄弟の家族が4人、それからそれぞれの家の飼い犬が2匹。合計13人と2匹が、長女の暮らしている3人住まいの家に避難しなければならなかったのです。
 その夜は、とてもじゃないけど眠ることが出来ませんでした。
 マンションの12階で体験した立っていられないほどの地震の記憶が蘇って来て、少しトラウマになっていたのかもしれません。余震が続く中、眠れないまま「一体、この後どうなるのだろう…」そういった不安ばかりが頭を回っていました。

液状化で飛び出したマンホール
液状化で飛び出したマンホール

 しばらくは、長女の家で暮らしていました。
祖父母の世話などがありましたし、食料や水の調達で毎日忙しく動いていた気がします。しばらくして都内に出てくる用事があったのですが、浦安とのあまりの被害の差に驚きました。水道もガスも通っていて、電車も走っているし道は平らでした。これまで東京と浦安との地理的な距離は、ほんの少しだと思っていましたが「この被害の差はなんなんだ」と不思議でした。

放射能を避け、大阪へ

佐藤 母の知り合いに原子力や放射能に詳しい人がいて「家族に妊婦がいるなら絶対に少しでも放射能から遠い土地に避難した方が良い」と忠告を受けました。長女と従兄弟は妊娠中だったんです。なので、危険性の話しを聞いて、家族は避難を即決。荷物をまとめました。義兄や従兄弟の旦那さんには仕事もありましたし、関東に残らなければなりませんでしたので、すぐに動けて体力があるのは僕くらい。関西にいる親戚の家や母の友人の家に滞在させて頂く事になったので、祖父母と妊婦が2人、高齢の僕の両親と、それから犬を二匹を連れて、車で東京駅まで行って新幹線に乗りました。新大阪に着いた時は、「ようやく着いた」とほっとしました。
 僕ら家族6人は、兵庫県の宝塚市に住んでいる母の友人の家にお邪魔することになったのですが、お一人で暮らしている女性の方で阪神淡路大震災を経験された事もあり親切にして頂きましたし、気持ちを分かってくださるのでありがたかったです。
その女性のお宅と親戚の家を交互に移動して、僕に出来る日々のお手伝いや祖父母の面倒をみる生活をしながら、2週間くらい関西で生活しました。
 けれど、胸中は複雑だったんです。僕がこれまで活動してきたGRAPHISとしての今後の動きについても気になっていたし、全国的に募金活動の動きも高まってきていました。それに僕自身の精神状態も震災直後に比べればだいぶ落ち着きを取り戻し「自分も何か行動を起こさなければ」というタイミングでの関西への避難でしたから…。なんというか、後ろめたい気持ちもありました。

海外からのメッセージに涙が止まらなかった

佐藤 震災が起きた11日、すぐに僕はTwitterで「PRAY FOR JAPAN」という世界中の人が日本に向けたメッセージを届けてくれるサイトを知りました。僕が見たのは、世界の人が被災した日本に向けてお祈りをしてくれる写真。その写真を見た瞬間、涙が止まりませんでした。本当に、10分間くらい、ずっと。ただ、涙が止まりませんでした。自分もやはり、不安で一杯でしたし、「こんなにも多くの人が自分たちの住む日本に対して祈ってくれている、心配してくれている」という事実を知り、応援して気にかけてくれる人たちがいることに、大きな勇気をもらいました。
 そして、その時に気がついたんです。「僕らGRAPHISも、カンボジアの人たちに対して医療支援という本当にスゴイことをしているんだ!」って。もちろん今までも、カンボジアに支援をしている実感や、彼らの喜んでくれる笑顔を見てボランティアの意義を感じていたと思います。けれど、この時、こみ上げてくる様な感動と共に、GRAPHISがしてきたボランティア活動の意義を、本当の意味で確信することが出来ました。

東北だけでなく、カンボジアにも支援が必要な人がいる

佐藤 日本の東北地方が大変な被害状況にあることは事実です。けれど、GRAPHISとして、カンボジアへの支援をやめることはできないと考えています。それは、日常的に水がない生活や、食料不足、地域医療が整っていないなど、様々な問題を抱えるカンボジアの現実を、僕らは現地で見てきているからです。その現実から、目を背ける事は出来ません。
 途上国への支援活動を続ける事で、今後、非難の声があがる事は予想しています。けれど、僕らGRAPHISのような団体が支援活動を止めてしまったら、まともな医療を受けられず命を落としてしまう、そういうカンボジアの人たちは大勢いるんです。
 僕は大阪に避難している時、コンビニに寄って被災地復興支援の募金箱に500円をいれましたが、そんな小さな一歩でも、確かに誰かのためになるんだという実感がありました。たった500円ですが、それが困っている人の元に渡れば、僕の想いは届き、困っている人の支えにつながるはずだと。僕自身が「PRAY FOR JAPAN」から大きな勇気をもらったのと同じです。
 だからこそ、僕らGRAPHISは、これまでと同じように「ラブチャリ」というチャリティイベントを開催し、僕らの支援を必要としているカンボジアの人たちのために、支援金を集める活動を持続していきたいと考えています。GRAPHISがカンボジアに支援できるのは本当に微々たるお金かもしれませんが、僕らの小さな支援によって生まれる希望は絶対にあると信じています。

今、僕達にできること

佐藤 僕らGRAPHISも、被災地への支援活動として他団体と協力しながら、チャリティーフリーマーケットや募金活動を積極的に行っていくことが決まりました。また、GRAPHISメンバーの中にも個人の判断で、東北地方の復興支援活動に参加している人間が多数います。
 一方で、僕の周囲にも、今後の復興支援などに対してあまり積極的でない人はいます。大学などでそういった人と話していると「もっと問題意識を持つべきじゃないかな」と思うことは度々ありますが、もし僕がGRAPHISの活動をしていなくて、浦安に住んでいなかったとしたら、彼らと同じだったのかもしれません…。個人の意識がすぐに変わらない事は、しょうがないのかなとも思いますが、それでも、僕がコンビニで500円を募金したような行動をとっている人はきっと大勢いるはず。そういった小さな行動の積み重ねとその気持ちを、絶対大事にしてほしいと心から思います。

 僕はこれまで、目の前にあるGRAPHISの活動を無我夢中でやってきました。けれど今回の地震を経験したことで、これまで続けてきたボランティアに対する意識は確かに変わりましたし、改めてボランティアの意義を感じています。なにより、カンボジアの人たちのために医療支援を続けてきたGRAPHISは、本当に素晴らしい団体なんだと、再認識することができました。
「俺はそんなスゲー団体の副代表を任せてもらっているんだ!」と実感した今、誇りを持って今後のボランティア活動に取り組んで行きたいと思っています。

〜 監督より 〜

 GRAPHISは、初代代表 石松宏章くんの意思を受け継いだ後輩達によって、現在までの7年間、カンボジアへの医療支援活動を継続してきました。それは、決して容易い事ではありません。
 未来を変えるのはいつの時代も若者です。
 そして、映画「マジでガチなボランティア」で描いたのも、ボランティアを通じて成長して行く若者達の姿でした。今回取材させて頂いたGRAPHIS現副代表の佐藤陸くんのように、東日本大震災での体験によってボランティア活動の意義を改めて考え、強い意志を持って行動にうつす若者は必ず増えていくでしょう。
 今後も、様々な方へのインタビューを通して、震災とボランティアについて考えて行きたいと思います。

■関連リンク

学生医療支援NGO〜GRAPHIS〜
http://graphis-ngo.jp/
ラブチャリキャンパス
http://lovechari.jp/
PRAY FOR JAPAN 画像まとめサイト
http://matome.naver.jp/odai/212998843384641830

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